共和地区を南北に縦断する幹線道路。明治初期の幅員二間(約三・六メートル)、大正三年(一九一四)小松原線と称し整備している。翌年には新橋-段ノ原間には自動車が走り、おおぜいの見学者が集まったという。昭和七年(一九三二)定期バスが篠ノ井-小松原-川中島間を運行した。戦後は二十八年再開、篠ノ井-小松原間を定期バスが走っていた。
犀口下居返線
共和地区を南北に縦断する幹線道路。明治初期の幅員二間(約三・六メートル)、大正三年(一九一四)小松原線と称し整備している。翌年には新橋-段ノ原間には自動車が走り、おおぜいの見学者が集まったという。昭和七年(一九三二)定期バスが篠ノ井-小松原-川中島間を運行した。戦後は二十八年再開、篠ノ井-小松原間を定期バスが走っていた。