中尾山を源流とする岡田川(湯沢)は土砂を流出し、平坦(へいたん)地にきて堆積する。その掘り上げを繰りかえしているうちに天井川となった。その堤塘(ていとう)は昭和四十九年(一九七四)庚申塔(中町・古町境)地点で高さ一二・四メートル、幅五五・〇メートルとなった。この堤塘のため岡田地区は二分され、往来が不便であった。そこで庚申塔(中町・古町境)に隧道を掘ることにした。大正十一年(一九二二)三月十六日地鎮祭。同年十一月十二日開通落成式となった。昭和三十一年(一九五六)には漏水防止のため全面巻き替え工事をおこなった。同四十年には松代群発地震が起きて、堤塘に亀裂が生じた。同四十三年六月から長野県は堤塘西側に岡田川の付け替え工事を始めて、四十五年完成させる。翌年八月からは旧岡田川の堤塘撤去を始めた。これにより岡田トンネルも取りこわすので同四十九年六月二十三日に感謝祭をおこなった。
旧堤塘の面積は一〇万平方メートル、長さ二二八〇メートル、土積量約五〇万立方メートルである。これらの土砂は新設の小中学校に役立たせ、旧堤塘跡地には共和寮・岡田児童館・共和園芸農業協同組合集荷所などの公共施設をつくり、住宅地としても利用している。昭和六十年(一九八五)十月この大事業の完成を祝し、岡田トンネル跡に「岡田川堤跡」という記念碑をたてている(界紙写真「岡田川堤跡」)。