小松原の火災

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大正十五年(一九二六)四月二十日午後二時三〇分ごろ、小松原地区南部から出火、おりからの烈風にあおられ北方にも飛び火した。たちまち火の海となって、わずか二時間あまりでほとんど焼失してしまったという。被害状況は焼失戸数一五四戸。焼失建物四九四棟。損害見積もり額は一〇七万七七二八円。焼死者二人、負傷者六〇人、殉職者一人という惨事であった(『共和小学校百年史』)。奇跡的にも同じ焼失区域内で類焼をまぬがれた家もあった。また、小松原伊勢社の御神体は救出された。村では緊急対策として、炊き出しをし、天照寺・光林寺・学校を避難所にし、一万五〇〇〇円の同情金を配付し、有償・無償の応急住宅、生活資材など交付した。また、各地、各団体からは見舞金・見舞品が寄せられ、信濃毎日新聞社、長野新聞社は義援金の募集をしている。しかし、昭和初期の不景気に出会い、復興は容易でなかった。『小松原火災記念誌』(昭和五年四月刊)がある。