文化国家建設の合いことばに、世の中は文化かまど、文化パン焼き、文化帯など文化をかぶせたことばが多く、青年団も文化活動を始めた。昭和二十年十二月九日青年団主催の演芸大会をおこない、同二十一年二月には弁論大会を開催し、新日本建設の方向、青年は何をやるべきかなどを論じあったという。青年団の資格も二五歳退団から三〇歳まで年齢延長をした。六月八日青年団は「村の民主化について」の討論会を開いている。青年による新しい息吹きを村に着々と吹きこんでいった。十二月には男女青年団一三〇人は国民学校のまきひき、まき割り奉仕をしている。また、同二十二年二月には青年団主催の各党の討論会を開いて政治主張を聞きあっている。こうした村のなかで、同二十一年農民組合が結成された。同二十二年新制中学校が発足し、婦人学級講演会が開催され、農地改革もはじまった。同二十三年には共和園芸農業協同組合、共和村農業協同組合などが発足している。