昭和五十年(一九七五)販売農家(経営耕地面積三〇アール以上、または農産物販売金額五〇万円以上の農家)は五〇九戸、農家率六六・七パーセントで意外と高い地域である。その後、同六十年から平成二年(一九九〇)の五年間には四八四戸から三五一戸と急減している。さらに同七年には三二八戸、農家率二七・三パーセントと下がった。農家はおよそ三戸に一戸の割合である。これは非農家の転入者の増加とも関係し、農家率は減少していく傾向がみえる。いっぽう経営耕地も年々減少している。共和地区の農家は主に稲作と果樹経営である。そのうち果樹園は経営耕地の約七〇パーセント以上を占め、水田に比して減少が少ない。果樹園芸に従事する年齢構成をみると、共和園芸農業協同組合では組合員三七八人、うち六〇歳以上は二二七人、全体の六割を占め、平均年齢六三・六歳と高齢化している。しかも二〇~三〇歳代の若者は一三人、三・五パーセントと低く、農業後継者難がうかがえる現状である。