四 戸口の移り変わり

135 ~ 135

 石川村地頭(じとう)知行地の百姓数は、寛文(かんぶん)六年(一六六六)七八人、天明元年(一七八一)一九七人とある。

 明治二十一年(一八八八)の合併のとき石川村一六三戸、七八三人、二ッ柳村一五二戸、七六八人で、石川村の方がわずかに多かった。人口は昭和十年(一九三五)から減少し、十五年に二〇七〇人と最低となった。以後漸増していたが、昭和二十二年の国勢調査時点で十五年より一一〇戸、七五二人増加した。これは終戦による戦地からの引き揚げと、都市からの疎開によるものである。以後年々増加し、四十五年から五十年には六六一戸増の一四六五戸、一八六五人増の五一四七人へと急増した。これは東部に昭和団地、みこと川団地が造成されたことによる。平成十一年(一九九九)十月一日には一九八〇戸、五八七五人に達している。明治二十一年とくらべ戸数は六・三倍、人口は三・八倍となった。


表1 川柳の戸口の変遷