真蔵寺 石川字山田 曹洞宗 ①本尊 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ) ②山号 慈雲山 ③由緒 当山は慶長(けいちょう)年中(一五九六~一六一五)興津家二代興津権右衛門正芳の開基により創建。正芳は真田氏が上田より移封のとき松代に移り、万治(まんじ)四年(一六六一)没。桑原(更埴市)の竜洞院八世嶺尭大和尚が開山、以前この寺は西方の山麓(さんろく)にあったと伝え、多数の墓があり真蔵寺跡とよばれている。嘉永(かえい)六年(一八五三)火災にあい古文書などを焼失した。元治(げんじ)元年(一八六四)庫裏(くり)再建、明治三十二年(一八九九)一二世中村泰仙和尚の代に本堂を再建した。泰仙和尚は石川の生まれで学徳高く、寺子屋の師匠として慕われ、境内に門弟の建てた筆塚がある。
常光寺 上石川 黄檗(おうばく)宗 ①本尊 釈迦如来 ②山号 三石山 ③由緒 黄檗宗は曹洞・臨済と並ぶ禅宗三派の一つで、江戸時代初期、中国明から来朝した隠元隆琦(いんげんりゅうき)が、寛文(かんぶん)元年(一六六一)京都宇治に黄檗宗(おうばくしゅう)万福寺を建立した。黄檗宗は長野市では松代に恵明寺(えみょうじ)が一寺あるだけで、その開山は隠元の二代目、中国僧木庵性滔、開基は真田幸道で、延宝五年(一六七七)造営。常光寺の開山は恵明寺と同じ性滔で開基は不詳。元禄十二年(一六九九)現在地に再興、浄光庵と称した。明治四年常光寺となり、昭和三十八年(一九六三)一〇代仙岳弘俊が死亡したあと無住となっている。
金剛院 二ッ柳方田 真言宗 ①本尊 弘法大師(こうぼうたいし) ②山号 法田山 ③由緒 井口登雲が創建した。登雲は松代豊栄の出身で、幼少のころ高野山蓮華定院(れんげじょういん)に入り、真言密教を修行し、松代に帰り布教につとめた。ある夜、弘法大師が夢枕に立ち、西方方田に風光明媚(めいび)の高台がある。その土地は堂宇に最適であると告げられ、方田を訪れ、あたりを散策し最適と思われる畑の地主をたずね、寺院建立の話をし快諾を得た。昭和十一年堂宇が完成し十二月十三日開山した。二世香雲は、水子地蔵尊、ぼけよけ弘法大師などを建立した。