明暦三年(一六五七)の幕府の触書と、延宝(えんぽう)四年(一六七六)に作成した松代藩触書、これを藩は幕末まで領民支配の基本とした。それには、百姓は耕作に身命をかけること、子孫の多いものは幼少のころから職を身につけさせること、婿嫁取りの祝儀は簡単にすること、衣類は木綿を用いること、諸役人に音物(いんもつ)をしないこと、博奕(ばくち)・賭け事をしないことなどを、常々守るようにとある。
寛政三年(一七九一)婦女子にたいしつぎのような条目を出した。①妻たるもの、夫によく仕えること、②妻たるもの、舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)を敬いよく仕えること、③妻たるもの、蚕を養い機織(はたお)り・糸紡(いとつむ)ぎ・麻(お)うみを昼夜怠りなく稼(かせ)ぐこと、④母たるもの、娘に女の業を教うべきこと、娘は一六歳から二〇歳のあいだに縁づけること、⑤娘たるもの、父母によく仕え兄弟姉妹睦(むつ)まじく、女の業を仕置べきこと、一〇歳よりは男子に交わり遊ばず、一二歳よりはなおさら男子に近づかずよくその身を慎むべきこと、などである。
青年にたいしては、村定めの一環として若者組の規定があった。石川ほか多くの村に現存している。その一つの「若者連中規定取極之事」は、①博奕ならびに喧嘩(けんか)口論をしないこと、②山林野荒らしをしないこと、③盗賊相慎みたとえ閑木でも盗んではいけないこと、④大酒致さぬよう心掛けること、⑤夜中門立ち、高声、悪党致さぬこと、⑥婚礼の節、見物ならびに不埒(ふらち)致さぬこと、⑦朋友の交わり睦まじくすること、などを決めている。