天明三年(一七八三)七月はじめ浅間山が大噴火し、犀川・土尻(どじり)川の川筋では農作物の収穫が三分の一であった。山中一帯は大豆・小豆などが実らず馬のえさや薪(たきぎ)にしてしまった。十一月から食料もなくなり、凶作の村々は善光寺方面、川中島、大町などからふすま・こぬかなどを買い、山からくず・やまいもの根を掘って食べ越年した。玄米や、ほかの作物も値上がりした。
藩は翌四年十月二十五日村々の役人を城下に集め、天明三年に取り延べした年貢二割五分ぶんや、拝借金・借金の元利の皆済を命じた。山中の村々には三万両の拝借金・借金があった。