道路

157 ~ 158

江戸時代、集落のなかを通る道と、篠ノ井から水田のなかを通って赤田に行く道があった。集落のなかを通る道は県道、主要地方道長野信州新線になり、バスが通っている。通称農免道路は、昭和五十六年(一九八一)市道に認定され、六十二年市道二ッ柳塩崎線となった。上石川から南の四野宮へ直線につくられた道は、昭和三十五年市道に認定、六十二年上石川塩崎線と命名された。

 郡役所や警察署があったころ、三等県道があった。西沖・前田で聖川を渡り、河原堰に洽って作見をへて郡役所に行った(明治十三年地図)。旧篠ノ井・作見・方田、下石川、上石川から、信田(のぶた)をへて久米路(くめじ)橋を渡り新町まで馬車が通っていた。