二 寺子屋と師匠

161 ~ 162

 川柳地区の筆塚で一番古いのは文化十一年(一八二四)中条の春日嘉寛のものである。明治二十一年(一八八八)には方田の山本央人(一八一四~八六)の筆塚が建てられた。央人は九歳で瀬原田の高雲寺に上り一二歳で下山し、二〇歳から中条の春日与五右衛門について謡曲・周易を学び、松代紺屋町の原主馬(しゅめ)から漢学の講義をうけた。また石川村の中村久八に素読を学んだ。さらに横田村の鳥羽木工左衛門について、塚原卜伝(ぼくでん)流の剣術、無双直伝流柔術や棒術を極め、江戸に出て湯島聖堂裏の磯又右衛門について天神真揚流柔術を修行した。また羽田喜左衛門について和算を習うなど幅広く修業した。三六歳で結婚し、以後村の若者たちに素読や算術、武芸などを教えた。門弟約一六〇人。門弟と田植えをしたり、桶(おけ)をつくったりもしている。ほかに、川柳地区の主な師匠に、石川の中村久八、二ッ柳の西沢喜右衛門がいる。