カンジョベイなど

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種籾(たねもみ)のことをスジといい、スジまきの時期は、川柳では五月二十八日であった。スジまきは早朝の日の出前にまくことにされていた。一反歩一斗が目安で、現在の二倍以上であった。苗間の水口には聖(ひじり)さんや戸隠さんの御札を立てた。戸隠さんの御札は五穀豊熟札で、笹竹の上方を割ってそこにはさんで熊笹といっしょに立てた。聖さんは苗間へ立てるためにわざわざこしらえたお札で、タナベ(タナンべ・カンジョべイ・田の神)という。田の神の依(よ)り代(しろ)である。長さ一メートルほどの柳の根元を少しけずり、先の方へ梵字(ぼんじ)に「聖山大権現」と刷った短冊型の紙をこよりで結びつけ、その下方に「高峰寺宝」の四字を刷った正方形の大きな紙を四ッ切りにし、三角に折りたたんで巻きつけた。この紙は、ほどいて焼き米を包み柳に結びつけるためのものである。川柳・塩崎地区では高峰寺へ御初穂を供える。寺では春に総代(区長)あてにこのタナベを届ける。区長はこれを区内の農家に配布するが、聖講のある地域では代参にいって受けとる。スジまきが終わると残りのスジを焼き米にしてエビスの田の神に供え家中で食べる。村中いっせいにスジまき休みをした。

 聖川は聖山東側山腹の曙地籍から流れてくる。聖山は古代水分(みくまり)の山であり、また修験(しゅげん)の山でもあった。聖山の山腹に樋知神社がある。祭神は武御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の子武水別神(たけみずわけのかみ)である。一〇世紀ごろ里宮を四之宮に置いた。干ばつのおりには樋知神社の裏にあるお種池に人びとが集まり、雨ごいの祈祷(きとう)をした。

 高峰寺は樋知神社の別当寺であった。文応(ぶんおう)元年(一二六〇)越後国上寺(こくじょうじ)(新潟県分水町)の修験僧学道が一人の仙人に案内されて聖山に登った。仙人は学道のため修行の道場をつくった。のち更埴市釜屋に下りさらに現在地に移り寺院の形態を整えた。正月三日種蒔会(たねまきえ)をおこなっている。また前述のタナベをつくっている。