煤掃(すすはき)とともに歳神の「依り代」として、その年の明きの方から枝松を採ってくる。シメなわづくりは暮れの二十三日から二十八日までにする。松飾りは歳神棚をはじめ、戸間口や、神棚・仏壇、井戸、竈(かまど)などに飾る。シメをつくるときエビラもつくった。オツイタチに方田では朝団子をつくる家があった。団子八八個を重箱に入れ、おてんとう様に供えるといって二階の窓を開けヒキギの上に置いて、夕方降ろして神棚に供え二十日正月に家族で焼いて食べた。家族のもの以外の人に振るまってはいけないといわれている(『篠ノ井の年中行事』)。ドンド焼きは各地でおこなわれている。上石川ではもと公民館の庭でした。今は憩いの湯の北方でしている。芯木(しんぎ)三本を山から切り、当番役の人がわらをもち寄り、こどもが松飾りなど集めてくる。十五日の朝組みたてる。夕方四時ころ火をつける。お餅(もち)を焼いたり、お賽銭(さいせん)を投げる人もいてこれを拾うとお守りになるという。成木責めは昭和三十年代のはじめころまでした。ナリヅモク(果樹)に、その年の豊作を約束させるまじないである。十八日の朝柿の木にたいしておこなった。十五日の小豆(あずき)ガユを残しておいてこの日、主人がナタを、家族が小豆ガユをいれた鍋(なべ)をもって「なるかならぬかならぬとたたっきるぞ」ととなえ、切るまねをする。小豆ガユをもったものが「なるからごめんなしてごめんなして」と問答をくりかえして、小豆ガユを塗ってあるく。今はなくなった。