第二次世界大戦中、学校に置かれていた天皇の御真影は昭和二十一年(一九四六)一月九日、更級地方事務所に奉還され、九月十一日奉安殿も撤去した。また忠魂碑は小学校の敷地内にあったが役場に移され、戦後、川柳将軍塚古墳の手前、あずま山の裏に運び再建した。西南戦役二人、日露戦争六人、その後太平洋戦争の開拓団員をふくむ七八人の戦死者などを刻して慰霊祭をした。
忠魂碑
第二次世界大戦中、学校に置かれていた天皇の御真影は昭和二十一年(一九四六)一月九日、更級地方事務所に奉還され、九月十一日奉安殿も撤去した。また忠魂碑は小学校の敷地内にあったが役場に移され、戦後、川柳将軍塚古墳の手前、あずま山の裏に運び再建した。西南戦役二人、日露戦争六人、その後太平洋戦争の開拓団員をふくむ七八人の戦死者などを刻して慰霊祭をした。