戦前は人力や馬などで田畑を起こし、早乙女(さおとめ)を遠く富山県などからよんで田植えをしていたが、戦後は順次動力農機具が導入され、労力が軽減し早くすむようになった。昭和三十五年ころはごくわずかであったが、四十年ころには普及しはじめた。平成七年現在、実農家一二〇戸で動力耕うん機二九三台、動力防除機一九二台、乗用型スピードスプレーヤー四六台、動力田植え機五四台、稲を刈りながら束ねていく手押しのバインダー一五〇台、さらにすすんだ稲を刈りながら脱穀していく自脱型コンバイン二四台が使用されている。
農業用機械
戦前は人力や馬などで田畑を起こし、早乙女(さおとめ)を遠く富山県などからよんで田植えをしていたが、戦後は順次動力農機具が導入され、労力が軽減し早くすむようになった。昭和三十五年ころはごくわずかであったが、四十年ころには普及しはじめた。平成七年現在、実農家一二〇戸で動力耕うん機二九三台、動力防除機一九二台、乗用型スピードスプレーヤー四六台、動力田植え機五四台、稲を刈りながら束ねていく手押しのバインダー一五〇台、さらにすすんだ稲を刈りながら脱穀していく自脱型コンバイン二四台が使用されている。