篠ノ井西小学校 川柳小学校は昭和三十一年(一九五六)まで一二学級であったが、三十二年に一一学級になり、四十三年には六学級二二三人と過小校となった。校舎も老朽化し塩崎小学校との統合計画をすすめてきたが、これも不調に終わり、みこと川と通明小学校の一部を通学区域にいれて統合することとなり、昭和四十九年三月二十四日川柳小学校は閉校となり、同年四月一日篠ノ井西小学校として、二ッ柳の北善司坊の土地を埋め立てて建設した(『川柳小学校誌』)。
西部保育園 昭和二十六年四月一日、川柳保育所として、川柳小学校に併設。四十七年四月一日、現在位置に移転した。
長野市篠ノ井愛の樹園 下石川 昭和四十一年五月、長野市肢体不自由児者父母の会マザーズホームとして、三輪の母子寮に週二回開設。四十三年四月一日長野市社会事業協会が設置運営することとなり、長野市愛の樹園とした。昭和四十九年四月一日、長野市愛の樹園篠ノ井分園として、布施五明に開設。五十四年四月一日現在地に新築移転し、長野市篠ノ井愛の樹園として独立した。心身に障害のある〇歳から一八歳までの児童にたいし、母子通園により保育訓練をおこない、心身の成長をはかることを目的とした施設である。
ふたば学園 下石川 愛の樹園の西隣にある。昭和六十年九月四日、御幣川から移転した。心身に障害をもつ人たちが作業訓練、生活訓練や体験学習をおこない、勤労意欲と生活習慣を体得して自立していけるように助長することを目的としている。土産用の菓子箱の組み立て、ダンボールの組仕切りなどの作業をして、若干の工賃をうけている。職員三人、通園者一九人(一九~六八歳)である。
石川老人憩いの家 上石川南部の高台にあり、昭和四十七年四月一日開設。温泉があり、泉質はナトリウム塩化炭酸水素塩で、摂氏二五・二度。平成十年度の利用者は一万七九二五人。
石川簡易郵便局 昭和四十七年三月二十七日開局した。
グリーン長野農業協同組合川柳支所 太平洋戦争中の農業会を昭和二十二年十一月十九日、川柳農業協同組合と改称した。昭和三十九年篠ノ井、塩崎、川柳、信里(のぶさと)、共和、東福寺、西寺尾の七組合が合併して篠ノ井農業協同組合となり、川柳事業所となった。平成六年篠ノ井、更北(こうほく)地区、川中島地区、松代地区、信更(しんこう)地区、大岡村の組合が合併して、グリーン長野農業協同組合を結成した。翌七年若穂地区と合併。川柳支所となった。川柳支所の正組合員三七〇、准組合員個人一五二人、団体三戸計五二五戸六三一人(平成十一年総会資料)。金融・共済・生産・購売事業などで、農協が組合員の農業経営のよりどころとなっている。
桜荘 二ッ柳大当にあり、昭和六十三年五月二十八日創立、平成元年五月、社会福祉法人特別養護老人ホーム博仁会桜荘として事業を開始した。定員六〇歳以上五〇人、職員三〇人。