東福寺地区は、犀川(さいがわ)扇状地の扇端(せんたん)部にあたる川中島平の南端にある。東西三・六キロメートル、南北二・九キロメートル、面積は約四・二七平方キロメートルである。標高三五一・五~三五五・〇メートルで、ほとんど平坦(へいたん)部であるが、北部から南東に向けて緩(ゆる)やかな傾斜となっている。四囲の境界が入りくみ地形はきわめて不整形であるが、堆積(たいせき)平野できわめて肥沃(ひよく)な土壌である。村の南に千曲川が東流して、川南に〇・六七平方キロメートルの地籍があり、松代地区に境しており、赤坂橋で連絡されている。昭和三十年代半ばまでは二毛作を主として養蚕もさかんな農村地帯であった。その後、桑園は果樹園に変わって、なかでもモモ栽培が中心となり、川中島地方の主産地となった。昭和四十年代になって交通量の増大にともない、新しく国道一八号が地区西部に建設されて、その後の発展の端緒となった。上庭地(じょうていち)区に犀南(さいなみ)団地が造成され、さらに合戦場土地区画整理が完成して長野市の南部発展の中核となった。さらに市の土地計画街路の設計とともに、五明西寺尾(ごみょうにしてらお)線の南側に三〇ヘクタールの南長野運動公園が設置された。ここが平成十年(一九九八)長野冬季オリンピック大会の開閉会式場となり、二月七日、五万人の観衆の興奮と感動のうちに開会式がおこなわれた。世界に「ナガノ」をアピールして、いちやく世人に注目される地区となった。