明治政府は明治二十一年、市制・町村制の公布により近世以来の小村を合併し、県下の町村数は三九一と約四分の一になった。東福寺村、小森村も合併すべき村として諮問(しもん)されたが、昔から生活圏も同じく学校も組合でつくっており、この案に同意した。翌二十二年四月、村の名前は大村である「東福寺村」と決まり新しい自治体が発足した。
東福寺村の成り立ち
明治政府は明治二十一年、市制・町村制の公布により近世以来の小村を合併し、県下の町村数は三九一と約四分の一になった。東福寺村、小森村も合併すべき村として諮問(しもん)されたが、昔から生活圏も同じく学校も組合でつくっており、この案に同意した。翌二十二年四月、村の名前は大村である「東福寺村」と決まり新しい自治体が発足した。