戦後の教育改革による新制中学の校舎建築と規模拡大のため、組合立中学の設置に向けた篠ノ井町との話し合いのなかで同町との合併が討議され、昭和二十五年(一九五〇)三月二十八日、両議会によって合併が決議された。
その後、川柳(せんりゅう)村も加わり、同年七月一日から一町二村の区域をもって新しい篠ノ井町が発足した。昭和二十九年に共和(きょうわ)村、同三十年に信里(のぶさと)村が篠ノ井町に合併、つづいて松代町に属していた旧西寺尾村のうち川西地区が川東地区と分かれて合併し、さらに塩崎村との合併が実現することにより、同三十四年五月一日をもって戸数六千五百余戸、人口三万三千余人の篠ノ井市が誕生した。