一 神社

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 東福寺神社 東福寺字池田 ①祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと) ②由緒 明治四十年(一九〇七)の神社統合令により、同四十一年八月、南宮社・池田社・鹿島社・諏訪社の四社を池田社へ合祀(ごうし)して東福寺神社と改称した。南宮社は上組、池田社は中組、鹿島社は下組および上庭組の氏神で、それぞれの産土神(うぶすながみ)であった。諏訪社は無格社であったが北小森組の産土神で、氏子は七戸のみで俗に勘助宮と称して川中島合戦のおり、山本勘助の討ち死にの場所とされていた。神社合併の経緯は明治四十年五月、五明社掌および各社の氏子総代をもって協議会を組織し、神社合併ならびに社号改称を県知事に出願し同四十一年八月認可され、九月十八日合祀祭が挙行された。


写真4 東福寺神社 明治41年4社を合祀

 伊勢社 東福寺字中沢 ①祭神 大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)(天照大神) ②由緒 当社は中沢組の産土神で、古くは伊勢大神宮に産土品を調達する宮社で中沢村の神明社となっていた。永禄四年(一五六一)川中島合戦の兵火で焼失したが、同六年武田信玄によって再建された。寛保(かんぽう)二年(一七四二)八月の洪水(戌(いぬ)の満水)により流失したが、寛延(かんえん)三年(一七五〇)氏子によって再建された。本殿は神明社造りであったが、近年千曲川堤防の嵩(かさ)上げ工事により北側に社殿を新築し、平成十二年(二〇〇〇)四月に遷宮がおこなわれた。昔から当社には妻女山(さいじょさん)から鹿の群が千曲川を渡って参詣すると伝えられ、その数や時期によって作物の豊凶を占ったという。明治以降は確認されていない。

 諏訪神社 小森七六 ①祭神 建御名方命 ②由緒 小森地区の産土神で口碑(こうひ)によると、横田河原の合戦のおり兵火にかかり社殿、旧記ことごとく焼失した。そののち社殿は再建された。永禄年間(一五五八~七〇)の川中島合戦によりふたたび兵火にあい焼失したが、のち復興された。小森は神社を意味して、小森地区の地名はこの神社から出た地名であり、戦国時代この地の郷士小森氏はもとは諏訪氏であったところから諏訪神社とは深いつながりがあった。


写真5 諏訪神社(小森区)