産業奨励策として、松代藩では薬用の甘草(かんぞう)や朝鮮人参を裁培させている。弘化三年(一八四六)東福寺村の「甘草植附坪改御書上帳控」には、二六人が合計四七四五坪に甘草を植えている。多いものは二〇〇〇坪も植えつけているが、その後の経過は不明である。甘草は生薬(しょうやく)として漢方医学に用いられ、鎮痛・解毒に効いたという。朝鮮人参は嘉永元年(一八四八)に藩から領内村々に試作を命じられ種が配られた。同二年、東福寺村でも四人が一〇〇坪の畑へ種をまいたが、地味が合わないためか試作程度にとどまった。アンズも奨励され、杏仁(きょうにん)(種子)は藩の特産物として移出された。農家の屋敷地には数本のアンズが植えられており、文化四年(一八〇七)には一二四軒が三一〇本の杏を報告している(東福寺村「杏御改二付木数人別附立帳」)。