赤坂の渡し

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松代藩内の千曲川・犀川の七渡しの一つに赤坂の渡しがある。常時、渡し船二艘(そう)が置かれ、一艘は「御用舟」として藩主とその家族専用であった。城に近く利用度が多かったためである。渡しの位置は現在の赤坂橋より約六〇〇メートルほど上流になり、洪水のたびにその位置は多少変わったらしい。松代通りから篠ノ井へ通じて北国街道や上方へ通じる北国西街道(善光寺街道)への最短距離に位置している。字中組から分かれて善光寺方面に向かう道は、西山方面からの炭・麻・大豆などが松代城下町へ運ばれた道である。

 また、これより下流、中沢村には「野渡し」または「作場舟」といわれる渡しがあり、これは地域住民の生活のために利用する渡し舟であり、民営であった。千曲川右岸の道島、猫島への農耕に利用された。


写真11 赤坂の渡し跡(赤坂橋上流東福寺中組)