赤坂の渡しは明治時代になって、「舟橋」に改良された。船一一艘をもって繋(つな)ぎ、橋の長さ四〇間余(約七三メートル)・幅六尺(約一・八メートル)と記録されている(『町村誌』)。当時の渡り賃は、大人四厘、牛馬一銭五厘、大八車一銭二厘五毛と有料であった。明治中期ごろには今の赤坂橋下流に木橋がかけられ、便利になったが、その後の洪水で何回も橋は流失し、かけかえられた。
昭和三十一年(一九五六)六月、関係町村の陳情により、現在の鉄橋が竣工(しゅんこう)したが、河川敷の途中までの変則橋で大雨のときなど危険なため、一七〇メートル上流に新橋が計画されている。全長五二二メートル・全幅一四・五メートルのアーチ型ローゼ橋として平成十二年(二〇〇〇)着工の予定である。