千曲川沿岸に位置する東福寺地区は、洪水による災害がもっとも多い。江戸時代初期より明治末年までの災害年表(『更級郡誌』)には、三〇〇年間に七六回の洪水記録があり、これは四年に一度は水害をうけたことになる。なかでも大きな被害をもたらした洪水は、寛保二年(一七四二)、宝暦七年(一七五七)、弘化四年(一八四七)、明治二十九年(一八九六)などで、その水位の高さは長沼の玅笑(みょうしょう)寺の「千曲川大洪水水位表」によってもうかがわれる。一位寛保二年八月二日、二位明治二十九年七月二十一日、三位弘化四年四月十二(ママ)日である。この地区でも当時の状況は古文書によって伝えられている(「寛保水害表」「弘化大地震見聞記」)。