明治十八年四月、杵淵村に四ヵ村(杵淵・西寺尾・東福寺・小森)連合役場が設立され、学校も同一学区として統合されることになった。同十九年四月東福寺村字松木に初等・中等科の松木学校本校を開校、西寺尾村に初等科の支校を置いた。全学齢者七一〇人のうち就学者数五五〇人で就学率は七七・五パーセントとなった。授業料徴収も義務づけられ、学費収入金のうち一五六円が生徒授業料となっている。これは学齢割五〇パーセント、就学割五〇パーセントで計算され、一人年二五銭、不就学者も一人一〇銭五厘の負担となった。
松木学校
明治十八年四月、杵淵村に四ヵ村(杵淵・西寺尾・東福寺・小森)連合役場が設立され、学校も同一学区として統合されることになった。同十九年四月東福寺村字松木に初等・中等科の松木学校本校を開校、西寺尾村に初等科の支校を置いた。全学齢者七一〇人のうち就学者数五五〇人で就学率は七七・五パーセントとなった。授業料徴収も義務づけられ、学費収入金のうち一五六円が生徒授業料となっている。これは学齢割五〇パーセント、就学割五〇パーセントで計算され、一人年二五銭、不就学者も一人一〇銭五厘の負担となった。