俳諧

207 ~ 208

明月庵桂(めいげつあんかつら) 本名は鹿島桂一郎、東区の人(文化七年~明治二十八年、一八一〇~九五)。絵画・漢学に通じ、俳句は冬日庵(ふゆひあん)月国(会(あい)区)に学び、弟子に明月庵春秋がいる。佐久間象山と親交があり、象山筆の明月庵の碑が自宅の庭にある。門弟は二百余人に及んだ。

 不老居鸞儀(ふろうきょらんぎ) 本名深谷谷作、中沢村の人(文化七年~明治五年)。家は代々学者で国学・俳諧に秀でていた。俳句は戸倉の虎杖庵(こじょうあん)に学び、不老居鸞儀と号して多くの門弟を指導した。また、寺子屋を開き、他村からも多く入門しており、そのため筆塚の句碑は妻女(さいじょ)山にある。なお、門弟の小山泰治は、二世不老居梅儀と号して師の志をつぎ、俳句を指導して芭蕉の句碑、何木(なんのき)塚を建てた。


写真13 深谷谷作の句碑 しら雲ニ果ハつつみてはなふかし 不老鸞生(妻女山招魂社境内)