東福寺小学校は昭和四十四年の犀南(さいなみ)団地の造成以来児童数が増加し、いっぽう隣接の西寺尾小学校は川東地区の児童が松代小学校へ通学するため児童数が減少したため、東福寺・西寺尾の統合小学校建設の気運がもりあがり、両地区で建設委員会を結成、昭和五十一年に一四学級、四三八人をもって篠ノ井東小学校が開校した。その後の児童数の急増により、同五十五年に北校舎九教室が増築され、児童数は約七〇〇人になった。東福寺小学校閉校にあたり記念式典がおこなわれ、記念碑が建立され『廃校記念誌』が刊行された。
篠ノ井東小学校の建設
東福寺小学校は昭和四十四年の犀南(さいなみ)団地の造成以来児童数が増加し、いっぽう隣接の西寺尾小学校は川東地区の児童が松代小学校へ通学するため児童数が減少したため、東福寺・西寺尾の統合小学校建設の気運がもりあがり、両地区で建設委員会を結成、昭和五十一年に一四学級、四三八人をもって篠ノ井東小学校が開校した。その後の児童数の急増により、同五十五年に北校舎九教室が増築され、児童数は約七〇〇人になった。東福寺小学校閉校にあたり記念式典がおこなわれ、記念碑が建立され『廃校記念誌』が刊行された。