西寺尾(にしてらお)は長野市の中心部と松代を結ぶ主要地方道長野真田(さなだ)線(通称松代街道)にかかる松代大橋をはさんで、千曲川の左岸(西岸)と右岸(東岸)に分かれて広がっている。
江戸時代のなかごろまでは千曲川の左岸にあり、更級(さらしな)郡西寺尾村・同杵淵(きねぶち)村として、右岸の埴科(はにしな)郡東寺尾村と対していた。江戸時代中期の松代藩による千曲川の瀬直しで、西寺尾村の中央を千曲川が流れることになり、西寺尾村は左岸と右岸に分断された。
東経一三八度一一分二六秒、北緯三六度三四分三一秒、標高三五〇メートル(旧西寺尾小学校)。東および東南はほぼ旧千曲川河川敷(かせんしき)を境に松代町東寺尾に、西および西南は篠ノ井東福寺(とうふくじ)、西北は稲里(いなさと)町、北は小島田(おしまだ)町に接している。右岸一帯は千曲川の自然堤防である。左岸は犀川(さいがわ)扇状地の扇端に千曲川の自然堤防がのっかった地形であり、その境界付近には千曲川の後背湿地帯(こうはいしっちたい)がわずかに残っている。
右岸(川東)の西寺尾は、昭和三十年(一九五五)埴科郡松代町と合併したので、大字は長野市松代町西寺尾となっている。
左岸には南から杵淵・荒堀(あらぼり)・中村・新田(しんでん)・北村(明治二十二年以前の杵淵村)、岡・神明(しんめい)(明治二十二年以前の西寺尾村)の集落がある。昭和三十二年、松代町から分町して篠ノ井町と合併したので、大字の呼称は長野市篠ノ井杵淵と長野市篠ノ井西寺尾となっている。なお平成四年(一九九二)から神明地区の一部が独立して長野市大字東犀南(ひがしさいなみ)・長野市大字神明となった。東犀南の地区のほとんどは、西寺尾地区であったが、昭和五十年に行政上は東福寺地区に属することになった。