行政区画の分合

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江戸時代から明治四年(一八七一)までは更級郡の西寺尾村と杵淵村であった。明治五年の戸籍区の施行によって西寺尾・杵淵両村は更級郡の東北部一五ヵ村とともに第三七区となった。明治七年大区・小区制の施行によって西寺尾・杵淵両村は東福寺村・小森村とともに第一六大区第一小区となった。明治十一年、郡区町村編制法によって大区・小区制は廃止されて郡が設置され両村ともに更級郡になった。明治十八年、連合町村制の実施で四ヵ村(西寺尾・杵淵・東福寺・小森)は連合戸長役場を杵淵村の典廐寺(てんきゅうじ)に置いた。