明治二十一年に市制・町村制が公布され、町村の分離統合がすすめられた。西寺尾・杵淵両村にたいしても両村を統合して一村とする諮問案が示された。これにたいして両村ともに独立村を強く主張して、郡役所や県庁に陳情を繰りかえした。しかし村の要望は入れられず、知事の職権によって諮問案どおり両村の合併は強行されて、明治二十二年新しい西寺尾村が誕生することになった。
千曲川によって村が東西に分断されている両村の合併である。千曲川が障害となって村民の行き来さえもままならないことから、東岸・西岸の利害が対立することが多かった。しかし、村びとは懸命な努力で、その障害を乗りこえて村づくりをすすめてきた。昭和二十三年(一九四八)、近隣に先駆けて通年制保育園を開設するなど、戦後の福祉事業の伸展ではつねに先進的位置を占めていたことはそのあらわれであった。