池郷と斗女郷

222 ~ 223

松代町西寺尾の柳島(やなぎしま)集落に頤気(いき)神社がある。同名の神社が隣の小島田町にもあるが、どちらも『日本三代実録』に「元慶(がんぎょう)五年(八八一)十月九日信濃国正六位上地生神(いけふのかみ)授従五位下」と記された池生神を祭神としている神社であり、『延喜式(えんぎしき)』神名帳(じんみょうちょう)に記載されている頤気神社であるとされている。

 頤気神社は『和名抄(わみょうしょう)』に記載されている池郷(いけごう)の郷社(ごうしゃ)と考えられるので、古代西寺尾地区は池郷に属していたと考えられる。池郷は現在の稲里町の野池(のいけ)あたりを頂点として、南は小島田町から西寺尾、東は真島(ましま)町にかけて広がる千曲川に臨む郷であったと考えられている。

 杵淵地区は古くは斗女郷(とめごう)に属していたと考えられる。斗女郷は旧御厨(みくりや)村の戸部(とべ)あたりを頂点として千曲川に向かって広がった地域で、その郷域は二ッ柳・篠ノ井・東福寺・杵淵の地域にわたっていたと考えられている。