武田信玄の弟、典廐信繁(てんきゅうのぶしげ)の墓が、かれが陣営とし、戦死した場所と伝えられる典廐寺の境内にある。真田信之(さなだのぶゆき)の五女於台(おだい)(見樹院(けんじゅいん))の命で鎌原縫殿重継(かんばらぬいしげつぐ)が建立した。
自然石の石碑で、表に「永禄四年辛酉(かのととり)九月十日 松操院殿鶴山巣月(しょうそういんでんかくさんそうげつ)大居士武田左典廐信繁」、裏に「一個軍人□□□□蓋天蓋地国泰民安」と刻まれている。
武田典廐信繁の墓
武田信玄の弟、典廐信繁(てんきゅうのぶしげ)の墓が、かれが陣営とし、戦死した場所と伝えられる典廐寺の境内にある。真田信之(さなだのぶゆき)の五女於台(おだい)(見樹院(けんじゅいん))の命で鎌原縫殿重継(かんばらぬいしげつぐ)が建立した。
自然石の石碑で、表に「永禄四年辛酉(かのととり)九月十日 松操院殿鶴山巣月(しょうそういんでんかくさんそうげつ)大居士武田左典廐信繁」、裏に「一個軍人□□□□蓋天蓋地国泰民安」と刻まれている。