明治三年(一八七〇)の松代騒動では、西寺尾村・杵淵村はともに騒動に巻きこまれている。十一月二十六日の早暁、騒動の一行が寺尾の船渡しに押しよせた。一行が押しよせる前に渡船場では綱を切りはらい、船を東岸につないでおいて、水主(かこ)たちは船番小屋の裏に隠れていた。騒動の一行は水沢の某家へ行って木っ端みじんに打ちこわした。近辺から木材をかつぎだし筏(いかだ)をつくって東岸に渡り、渡し舟を出して残らず渡りおえた。船番小屋を焼きはらい、さらに西寺尾村の某家に押しいり、戸障子家財を打ちこわした。一行はさらに松代御廐(おんまや)町の畳屋善右衛門宅、馬出し大手木戸を焼き、中町の甲子屋を打ちこわした。
西寺尾の農民にも騒動に巻きこまれ参加したものもいた。そのなかの一人は大手木戸焼きうち、中町甲子屋打ちこわしの罪により、准流(じゅんる)五年の刑に処せられている(『信濃郷土叢書』)。