寺尾の渡し

238 ~ 239

西寺尾地区を通る松代道(善光寺道)は、古くは旧寺尾村の鳥打(とりうち)峠下で谷(たに)街道から分かれて柳島(やなぎしま)集落の端を通って寺尾の船渡しに向かっていた。江戸中期に殿町下(とのまちした)・城裏(しろうら)町から柳島集落の真ん中を通る道が開かれた。寺尾の渡しは字下河原で対岸の水沢の槌井(つちい)神社の北に渡る位置にあった。松代から善光寺に向かう人びとにとってはもちろん、二つに分断された村人にとっても重要な渡しであった。船一艘(そう)と水主(かこ)六人(うち船頭(せんどう)一人)が置かれていた。水主は高五〇石分の耕地は無税、諸役も免除の特典があった。渡し賃は平時は一〇文、出水時は二二文であった。近隣の村々は繋(つな)ぎ籾を納めているので船賃を出すのは他領の旅人だけだった。渡しの方法は竿越えと綱越えがあった。享保(きょうほう)六年(一七二一)に戸部村又兵衛が坂木代官に出した「七舟渡し竿書上」によれば、寺尾の渡しの竿数は赤坂渡しと同じく六本となっている。