千曲川の通船は寛政二年(一七九〇)、水内郡西大滝村(飯山市)の太左衛門が西大滝と福島(ふくじま)(須坂市)間の通船五艘の許可を得た。長さ一〇間四尺(約一九・四メートル)の船で船頭一人、舳竿(へさきざお)一人、川岸で船を引っ張る綱手四人が乗っていた。太左衛門船はじっさいには一、二艘の就航にすぎなかったが、一九世紀に入ると松代藩営船や善光寺町の厚連(こうれん)船が加わり、米穀・塩のほかさまざまな物資が運ばれた(『県史』⑤)。
明治八年(一八七五)、松代の有志により西寺尾に本社、上高井郡押切(小布施町)などに支店を置く千曲川通船会社が設立された(『小布施町史』)。当時発行された錦絵「千曲川寺尾舟橋之図」(倉田績蔵)には柳島集落の西北端に、その社屋が描かれている。西寺尾船場では川中島平へ送る船荷は水沢側に、松代に送るものは西寺尾側に陸揚げされた。通船の運航は大正十年(一九二一)までつづいた。村に電灯がついたのはこの年だった(『西寺尾小学校記念誌』)。