弘化四年(一八四七)三月二十四日の善光寺地震では、震災とともに、この地震で崩落した岩倉山(いわくらやま)の土砂で堰(せ)きとめられた犀川の水が二〇日後に、犀口から一気に川中島地方に押しよせた水の被害が大きかった。西寺尾も大きな被害があったと思われるが、はっきりした記録がない。水害の年貢免除高は、西寺尾村は本田三五八石余・新田六二石余、杵淵村は本田九五石余・新田一〇石余であった(『更級郡誌』)。
弘化の地震水害
弘化四年(一八四七)三月二十四日の善光寺地震では、震災とともに、この地震で崩落した岩倉山(いわくらやま)の土砂で堰(せ)きとめられた犀川の水が二〇日後に、犀口から一気に川中島地方に押しよせた水の被害が大きかった。西寺尾も大きな被害があったと思われるが、はっきりした記録がない。水害の年貢免除高は、西寺尾村は本田三五八石余・新田六二石余、杵淵村は本田九五石余・新田一〇石余であった(『更級郡誌』)。