この地域の寺子屋の師匠としては、幕末から明治にかけての杵淵村の八田知礼(はったちれい)と西寺尾の山崎了海(やまざきりょうかい)がいる。八田知礼は文久年間(一八六一~六四)から明治初年まで寺子屋を開き、漢籍・算術・習字を教えた。山崎了海は真言宗の僧で、文久年間から明治初年まで漢籍・習字を教えた。
地域の子弟の教育は、このような正規な寺子屋によるものもあったが、大部分は現在の謡曲(ようきょく)や花道(かどう)の師匠のように近くに住む有識者のもとに、農閑期に通い手習いするのが主流であった。この普及によって江戸時代の末期には成年男子はほとんど読み書きができたといわれている。