明治二十二年町村制が施行され、西寺尾村・杵淵村が合併して新しい西寺尾村が誕生した。これにともなって学校も一村一校とすることになった。学校・役場の位置をどうするか問題であった。当初は村役場を川西の典廐寺におき、小学校は旧松木学校西寺尾支校を本校、旧稽徴学校を派出所とすることで発足した。村は役場と学校の建設を課題として研究協議をつづけた。しかし容易に結論は出なかった。村長・学務委員・小学校長などの懸命な努力によって、①役場は川西の槌井神社前、②小学校は川東の一区北村に建設、③学校建設費は一区が負担して村に寄付する。④この約定は天変地変のない限り変更しない。という約定がなされて決着をみた。明治二十五年十月開校式が挙行された。明治三十年高等科を設置して西寺尾尋常高等小学校となった。明治四十一年尋常科六年が義務制となって、高等科は二年となった。