大正八年(一九一九)からの千曲川の改修工事によって、村はふたたび村役場も学校も移転をしなければならない苦汁を味わうことになった。移転問題は難航したが(第五節三の「千曲川改修工事」参照)、昭和六年(一九三一)十二月杵淵の新田前に校舎が落成し移転した。
昭和十六年国民学校令の公布で、校名を西寺尾国民学校と変更した。
千曲川改修と学校の移転
大正八年(一九一九)からの千曲川の改修工事によって、村はふたたび村役場も学校も移転をしなければならない苦汁を味わうことになった。移転問題は難航したが(第五節三の「千曲川改修工事」参照)、昭和六年(一九三一)十二月杵淵の新田前に校舎が落成し移転した。
昭和十六年国民学校令の公布で、校名を西寺尾国民学校と変更した。