胴合橋

249 ~ 250

西寺尾一帯は川中島の古戦場である。以前は永禄四年(一五六一)の合戦の戦死者を弔(とむら)ったといわれる首塚が各所にあったが、いまは八幡原に二基あるだけである。胴合橋(どうあいばし)は旧長野街道にかけられた小さな石橋である。ひどい戦傷で見分けができなくなった信玄直属の武将山本勘助(一説には信玄の弟典廐信繁(てんきゅうのぶしげ))の首を、胴と合わせて確認したところといい伝えられてきた橋である。昭和のはじめまでは、陸地測量部作成の五万分の一の地形図にその名前がはっきりと記されていた橋である。現在は松代大橋のたもとの大型店にはさまれて、よほど注意しなければ気づかない状態となっている。


写真6 胴合橋 山本勘助の首を確認したと伝承される橋