福祉の充実を目ざして

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戦後の混乱のなかにあって、村はいろいろな新しい試みを実施した。なかでも力を入れたのは村民の福祉の向上であった。国民健康保険は終戦前には組織されなかった。しかし昭和二十三年の法改正を機に組織され、翌二十四年には加入戸数三七六戸、九五パーセントの加入をみるにいたった。

 通年保育園も昭和二十三年に開設した。当時更埴(こうしょく)地方で通年保育園を開設していたのは稲荷山町だけであった。当初、夏期は槌井神社の社務所を、冬期は小学校を借用していた。昭和二十六年典廐寺(てんきゅうじ)境内に新築された。

 昭和四十六年、東福寺保育園と合併して、東部保育園となった。