昭和二十六年(一九五一)度の農家戸数は三二八戸、農家率は八五パーセントであった。そのうち一九五戸・六〇パーセントが専業農家である。耕地の利用は同年、水田三四・九パーセント・普通畑三四・八パーセント、桑園二四パーセント、果樹園六・三パーセントであった。水田の裏作には小麦が広く栽培されている。養蚕はやや減少はしているが、まだまだ中心的産業で収繭量は一万四〇〇〇貫(約五万二五〇〇キログラム)に達している。果樹(リンゴ)栽培が少し始まってはいるが、戦前の米・麦・養蚕の経営とほとんど同じであった。
二 農業経営の進展
昭和二十六年(一九五一)度の農家戸数は三二八戸、農家率は八五パーセントであった。そのうち一九五戸・六〇パーセントが専業農家である。耕地の利用は同年、水田三四・九パーセント・普通畑三四・八パーセント、桑園二四パーセント、果樹園六・三パーセントであった。水田の裏作には小麦が広く栽培されている。養蚕はやや減少はしているが、まだまだ中心的産業で収繭量は一万四〇〇〇貫(約五万二五〇〇キログラム)に達している。果樹(リンゴ)栽培が少し始まってはいるが、戦前の米・麦・養蚕の経営とほとんど同じであった。