昭和四十一年(一九六六)の長野市合併は、西寺尾にとって一つの転機であった。四十二年、神明西から上庭裏(じょうていうら)に団地造成計画が提案された。昭和四十五年、新都市計画法によって同地区五〇ヘクタールが市街化区域に指定された。昭和五十年、上庭裏約一五ヘクタールに造成された東犀南団地が大字東犀南区として独立した。昭和五十三~五十八年に西寺尾土地区画整理事業(七・六ヘクタール)が、同六十二年~平成四年(一九九二)には神明・広田(ひろだ)土地区画整理事業(二五・七ヘクタール)が実施された。これらの進行で岡・神明地区の住宅化がすすんだ。昭和五十八年に新田西(しんでんにし)、平成四年には神明北の新しい区が誕生した。現在、水沢・上庭三四ヘクタールの区画整理が計画されている。