村名「信里」は明治二十二年(一八八九)山布施村と有旅村が合併して付けられた。当時の記録によれば「起因ヲ詳ラカニセズ 合併二ヵ村ノ意二依ル」とされている。このころの合併村名には合併のなかの大村の名称や古い由緒ある村名のもの、合併村名の一字を組み合わせたものもある。信里のように命名理由をはっきりさせないが合併村間の納得(なっとく)のうえで決めたというところもある。山布施村は有旅村より面積・戸数・人口ともやや上まわり、有旅村は松代藩領の行政区名であって知名度は高く、両村とも由緒のある村名である。どちらにも偏ることなく、改めて好字をもって新村名にしたものと思われる。信里の信は茶臼山にゆかりのある信玄の信や信濃国の信とも考えられるが、徳目の信もある。里は村や地方の意である。明治初年の『町村誌』では有旅村を「淳朴にして能く業を励む」とし、山布施村では「子弟をして能く学に就かしむ」と記している。ともに誠実な土地柄が強調されている。信は信義、信頼、信望、信用などを表したものであろう。更級郡には、信田村・信級(のぶしな)村・稲里村・今里村など、村名に信や里のついた村が比較的多くみられる。