四 戸口の移り変わり

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 信里地区は犀川丘陵地に位置する純農村である。幕末期の戸口はおよそ四八〇戸、二四〇〇人ほどであった。そのころから太平洋戦争ごろまで約七五年間、戸数はほとんど横ばい状態がつづき、人口は二〇〇人ほど増加した。一般に農家が農地を分けて分家を出すことは容易ではない。村にとどまるものは農家の後継者と農業以外の職業者くらいである。信里地区の場合も農村地帯だけに、戸数の増加は無理であったといえる。昭和二十年(一九四五)終戦を迎え、疎開者は食糧事情からそのまま住みつき、引揚者も帰村してきた。同二十二年には信里地区始まって以来の五七一戸、三二一七人と驚くほど増加した。このまま同三十年ごろまでほぼ横ばいがつづいたが、戦後経済がしだいに復興し安定すると離村者が増えてきた。さらに同五十年ころの高度成長期を迎えると戸数は昔の四八〇戸に減少し、下げ止まりとなっている。しかし、人口は年々加速度的に減少し少子高齢化となってきた。現在はほぼ一五〇〇人となり人口問題が深刻となっている。


表1 信里地区の戸口の推移