布施本庄布施御厨

266 ~ 266

『吾妻鏡』の文治二年(一一八六)三月の条に布施本庄(ほんじょう)・布施御厨・富部御厨がみえる。いずれも在家・領家の名は欠けている。布施本庄は「本庄」ということから、布施庄の本郷にあたるらしい。その中心は篠ノ井布施五明、同布施高田あたりと考えられている。

 伊勢神宮荘園の御厨には伊勢社がまつられる。『長野県の地名』では布施御厨の範囲を「篠ノ井北東の上布施・下布施を本郷とし、小松原の伊勢社、岡田の伊勢社、信里の布制神社の所在地をふくんだものと考えられる」としている。山布施の布制神社は以前「神明宮」と称し、犬石の中山神社明細書は「この地は布施御厠である」と記している。口碑では、小松原・岡田(共和地区)、有旅・入有旅・山布施(信里地区)、安庭・氷熊・平林(更府地区)の八ヵ村を布施御厨、石川・二ッ柳(川柳地区)、五明・高田・御幣川・横田・会(あい)(篠ノ井地区)、上下(ママ)布施(御厠地区)の八ヵ村を布施本庄であるとしている(『更級郡誌』)。御厨では伊勢神宮に上分(じょうぶん)料として、鮭(さけ)や筋子(すじこ)、苧麻(ちょま)でつくった白布を上納していたという。