須立城

267 ~ 268

山布施 簾立(すだち)城とも書く、篠ノ井山布施の西方にある山城。明治初年ころの調査によると、本郭(ほんくるわ)は最高所にあって、東西一五間(約二七・三メートル)、南北一二間(約二一・八メートル)の平地となっている。脇郭は東西二〇間(約三六・四メートル)、南北一〇間(約一八・三メートル)その下に小屋場という平地があって、つづいて馬場という地がある。山布施と本郭のあいだを大手といっている。築城は布施頼重(頼里)とか頼直といわれ、『更埴地方誌』では布施直頼としている。直頼の子正直は山平林(信更町)の上尾城に移り本拠とした。そのさい上尾城の支城として利用されたのであろう。なお、直頼に関係したえぼしの掛松、粥盛釜(かゆもりがま)の土手、直頼守本尊薬師仏などの古跡があるという(口絵写真「須立城」)。