篠井神社 上有旅 ①祭神 健御名形富命(たけみなかたとみのみこと) ②由緒 上有旅・下有旅の産土神(うぶすながみ)、建保(けんぽう)二年(一二一四)布施郷の地頭布施宗俊が社殿を再建したという。弘治年間(一五五五~五八)平林氏領主の家臣宮下磯谷が当神社に奉仕しのち代々継承する。永禄四年(一五六一)信玄が茶臼山に布陣のさい神領を寄進したと伝えられている。社号は諏訪大明神であったが、神社所蔵の神宣状によれば、文政十二年(一八二九)三月「氏子の願いにより地名にしたがって篠井(ささい)神社と称する」となった。篠井は上代郡下に荘をおいた名称という(「神社明細帳」)。
中山神社 犬石 ①祭神 天照皇大御神(あまてらすおおみかみ) ②由緒 犬石の産土神。古くは中山村と称し伊勢神宮を分祀(ぶんし)、鎌倉時代には布施御厨に属したという。永禄年間(一五五八~七〇)川中島の戦いで村落が兵火にかかり住民が四散し、寛文元年(一六六一)に村を再興し社殿を改築したという。明治六年(一八七三)神明社を現社名に改めた。拝殿には文久元年(一八六一)の献額がある。
中山誉神社 笹鍋・十二 ①祭神 手力雄命(たぢからおのみこと)・天恩兼命(あめのおもいかねのみこと)・天表春命(あめのうわはるのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと) ②由緒 もと中山三柱(なかやまみはしら)神社と称し手力雄命・天恩兼命・天表春命をまつり、笹鍋の産土神であった。社殿は永享八年(一四三六)平林義時の再建という。真田氏松代藩から黒印地高四斗と六文銭の幕一張を寄進された。明治四十一年(一九〇八)一月誉田別命を祭神とする十二の産土神と合祀し、現社号に改め、社殿を笹鍋と十二のあいだに移転した。
諏訪神社 青池 ①祭神 健南方命(たけみなかたのみこと) ②由緒 青池の産土神。社殿は欠下(かけのした)地籍にまつられ社叢はマツ、スギの老樹が多い。境内社には伊勢社、金毘羅(こんぴら)社、山の神、稲荷社がある。昭和二年(一九二七)十月本殿を改築し祝詞殿を新築。同十五年には皇紀二千六百年記念に常夜灯を設置、平成九年(一九九七)鳥居を改築した。
布制神社 山布施 ①祭神 天照大神・大彦命(おおひこのみこと) ②由緒 山布施・遊谷(ゆや)・若林の産土神。一〇世紀に成立した『延喜式』神名帳の更級郡一一座に記載されている一つであるという。宝亀(ほうき)八年(七七七)天照大神を勧請(かんじょう)し、のちに布施朝臣(あそん)某が当地を開拓したとし祖神の大彦命を祭り、延喜式内社の神明宮となったと伝える。宝暦九年(一七五九)十月の松代藩神社書上には「社領一石 神明宮」と記載されている。文化七年(一八一〇)正月神祇管領(じんぎかんれい)吉田家に旧社号布制神社に改めるよう願いでて許された。
布施八竜大権現 遊谷 ①祭神 八竜大権現(布施冠者八郎直頼) ②由緒 祭神は須立城(山布施)・上尾城(信更町)の城主ともいわれ布施郷の開発に尽くしたといわれている。山布施に来て松一本をかまどに立て新年を迎えたという。山布施ではこれにまねた正月の慣習があったという。後年は熊野権現を勧請した。昔は首より上の病に霊験があると伝えられ、参拝者が多かったという。参道には昭和四十五年七月西沢権一郎知事書の直頼終焉(しゅうえん)の碑が建っている。
布施神社 村山 ①祭神 建御名方命・八坂主売命(やさかとめのみこと)・天照皇大神・豊受(とようけ)大神 ②由緒 夜交・大久保・秋古・村山・粒良田(つぶらだ)・瀬成(せなり)の産土神。文化十年七月神祇管領吉田家の許可を受けて現社号となる。弘化四年(一八四七)善光寺地震による四月十三日の犀川の氾濫(はんらん)で社殿と社叢の老木が流失したがのち再建。境内には一六社ほどの祠(ほこら)が整然と並んでいる。