村の成立

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慶長七年(一六〇二)の『検地打立帳』に山布施村五二八石余、有旅村三〇一石余がみえる。両村は親村として、明治二十二年(一八八九)四月信里村成立までつづく村名である。元禄十五年(一七〇二)「絵図仕立帳添目録」には、山布施村の枝村として樋屋(ゆや)村・若林村・村山村・秋後(あきご)村・夜間瀬村・瀬成村・円田(つぶらだ)村・青池村があげられている。中山新田村については山布施村(信里地区)・有旅村(同)・赤田村(信更町)・氷熊村(同)・平林村(同)・石川村(篠ノ井石川)の六ヵ村にわたり開発された。そのため「いずれを親村とも立ち難し」としている。同年の『元禄郷帳』では中山新田村として村高一五〇石余を記載している。しかし、天保五年(一八三四)『天保郷帳』では「高千百二十四石九斗六升五合 山布施村」に注記して「古くは山布施村・中山新田村二ヵ村」と記されている。

 『町村誌』によれば近世には親村からの分村が起きている。山布施村からは寛永元年(一六二四)村山村が分立し、同二年には青池村も分村している。有旅村からは天保三年入有旅村が分村し、それに中山新田村を加え六ヵ村となっていた。有旅村は上有旅・下有旅。入有旅村は桜井・浅野。中山新田村は犬石・鶉石(うずらいし)。鶉石はさらに十二・笹鍋(ささなべ)からなっている。いっぽう山布施村は山布施・遊谷(ゆや)・若林。村山村は夜交(やませ)・大久保・秋古・村山・粒良田(つぶらだ)・瀬成(せなり)。青池村は青池だけとなっている(現在の青池は大字山布施、大字有旅にまたがっている)。

 明治初期には村の統合整理がすすめられた。明治五年(一八七二)には中山新田村と入有旅は有旅村に合併し、同六年には村山村と青池村は山布施村と合併し、ふたたびもとの二村となった。同九年(『町村誌』は八年としている)には桜井が山平林村(信更町)へ、浅野は氷熊村(同)へ編入した。