中山新田村

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延享三年(一七四六)大風と大霜で粟(あわ)・萪・蕎麦(そば)がいっさい皆無となり、村方三役は奉行所へ引高願いを出している。文政七年(一八二四)、村中で夜なべ仕事に一ヵ月なわ三束、沓(くつ)四足を作って干損、水損に備蓄する。翌年の道訳帳には村名を犬石村と記されている。慶応四年の村高一五四石余、三六軒、一八七人、馬七匹。鶉石組村高二二二石余、四一軒、二一〇人、馬二一匹。